今(2017年)から60年も昔の話です。
私が中学2年生の時に、同じクラスにS君という男の子がいました。学校ではいつも少しうつむき加減で、おとなしく一人でいることが多い子でした。彼の名前が、その頃読んでいた小説の作家と同姓同名であったので、それを伝えたくて話しかけました。彼はその作家の名前に何の反応も示しませんでしたが、それをきっかけに時々話をするようになりました。
当時は男子達の間に相撲が流行っていました。昼休みになると男子は運動場に飛び出てあちこちで相撲を取っていました。S君は家が農家でよく手伝いをしていたので、胸板が厚く鍛えられた体をしていました。
時間があると二人で運動場に出て相撲を取っていたので、いつの間にか仲が良くなりました。
彼は家の手伝いのためかよく学校を休み、服装も質素で文房具もあまり持っていませんでした。彼のために、家にあった古いブリキ製の筆箱に何本かの鉛筆と消しゴムをいれて、ある日、学校に持って行きました。しかしその日も欠席していて渡すことができず、残念で寂しかったことを覚えています。
S君は2年生の時は欠席の方が多く、出席しても家の手伝いのため早く帰らなければならなかったので、放課後ゆっくり話したり遊んだりすることはありませんでした。3年生からは別々のクラスになったので会うこともなくなりました。そして彼はある男子と喧嘩をして、その後全く学校に来なくなりました。
当時は日本が終戦から未だ10年程しか経っていない頃でどの家庭も貧しく、子どもの数は多かったのですが高校進学率は50%を切り、多くの友達が中学を卒業すると家計を助けるために集団就職で関西や関東へと郷里を離れていく時代でした。
手元のアルバムにS君と写った写真があります。担任の先生が転勤することになり、2年生の春休みに先生と10人ほどの生徒と一緒に”ラクテンチ”に遊びに行った時の写真です。先生が「ブリ、ブリ!」と面白いことを言って皆は笑ったのですが、S君だけは学生帽を目深にかぶってふさいだ顔で写っています。その後、S君と会うことはなく今に至っています。
振り返ってみると、中学時代が人生で最も多感で、気が合う話せる友達を求めていた時期だと思います。S君に何度跳ね返されてもぶつかって行った時の、あのうれしかった気持ちは今でも時々蘇ってきます。
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